世界は夢組と叶え組でできている Kindle版 読了

noteでどなたかが読んだ(であろう)書評のタイトルが目に止まったので読んでみた。

私は自分がトップに立つタイプではなくて、頑張っても(頑張っても)2番目くらいまでだなと思っていたのでタイトルに惹かれた。バンドマンじゃなくてバンスタになるタイプ。

自分を変えるためには自分を知ること、一緒にいる人を変えることなどどこかで聞いたアドバイスがあるが、それを今までの自分の人生と気持ちを理解して否定せずに紐解ける。

以下、気になった章と感想です。感想というか懐かしみかも。

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夢組と叶え組

「夢」を持てないことは欠損だと思っていた。

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

という一文から始まる。
まさに私が生来思い続けてきたことだった。

小学生のころ「将来の夢」を書くタイミングがあったが本当に何も思いつかなくていつかテレビで見た「将来なりたい職業ランキング」に入っていたバレーボール選手と書いたのを今でも覚えている。
その時点でバレーボールなんてやったことなかったのに。

「夢組」 夢中になる能力があるやりたいことがある人
「叶え組」 やりたいことがない人

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

と筆者は定義して話を進めている。
どっちが良いというものではなく、性質の違いであると。

私は今会社で「夢組」になることを望まれている。今まで「叶え組」としての仕事をしていたのだがその仕事が減ってきたので「夢組」になって新しい商売をということなのだがその心労が凄すぎて完全に追い詰められてた。

これを読んで「やっぱ無理だわ」と開き直れた。もちろん開き直ってる場合でも無いのだが。

「やりたいこと」ってなに?

「お菓子を作りたい」という、自分がよろこぶ「行動の欲」
「時間とお金がある」という状態を望んだ「状態の欲」

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

この二つの入り口があるのではないかと筆者はいう。

自分が何をするとよろこぶのか、どうなるとうれしいのか、「行動」と「状態」の両方から考えることは「自分の幸せは何か」を考えるということだ。

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

私は常に状態の欲を優先してきた。

やりたいことと言ったらライブに行くことくらいなので「仕事をやりくりすれば行きたいライブにいける」状態を作れる職場にいた。

欲を出して収入アップを考えると大体ずっこける。調子に乗るその時々の自分に腹がたつ。

自分を知る

やること(やりたいことではない)を決めるにはまず自分を知ること。自分には何ができて、何ができなくて、どんな傾向があるのかを徹底的に洗い出す必要があると。

自分と相談することはよくあったし、ダメなところしかないか仕方なく自分を納得させて生きてきたと自分では思っていたけど、「自分の良いところ」は認めてなかったように思う。自分で自分の価値を認められない。

諦めの呪いを、許可でとく

目標を立てられないことがダメなのではなくて、自分がしあわせになってもいいと許可してあげられないことがダメだったのだ。

おそらく子どもの頃から「素直じゃない」理由も同じだ。欲しいものは欲しい、好きなものは好き、したいことはしたいと認めていくと、最後に待っているのは「しあわせになりたいか?」だからだ。

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

好きなものを好きと認めるのが本当に苦手だった。

若い頃、好きな人に対して、あの人よりも「私の好き」の方が劣っているのではと思ったりした。後によくよく考えてみればそこに優劣など存在しないし比べたところで意味が全くないなと思うようになる。

これは確かに素直じゃない。

書き出してみる/過去を捉え直す

自分で決めた道を進んできたはずが、ふと気がついたときに「何でこんなところにいるんだろう?」と途方に暮れた。そのときその都度、自分のできることで、より良い方を選んできたはずが、自分がうれしいことや楽しいことに辿り着かなかった。

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

素直じゃない感情に蓋をした状態(蓋をしたとは思っていない状態)で選んでいたせいだろうか。

素直になるとは、自分を軸に、自分のために、自分をよろこばせることができるようになることで、他人に合わせて考えを変えたり、他人の気持ちを汲んで先回りして感情を操作したりしないようにすることだ。

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

自分では自分軸で物事を考えているつもりだった。自分軸というより「自分勝手」な人間だと思って生きてきた。

誰かの望みも叶えないし、誰かのためにもなっていないし、なるべしんどくなく死ぬまでは楽しく生きられたらいいなと思ったいた。自分軸で幸せを定義して生きてこれてると思っていた。

でも自分の気持ちにフタをする癖がついている。おそらく医師である父親の期待に答えなかった経験もあるのかな。

幼稚園の頃から塾に通って体操教室も行って、そんなにやりたくもないピアノもやって1週間の予定は自分で考えるまでもなく埋まっていた。
今の自分の生活からすると色々やりすぎでストレスだったろうなと思うけど当時は何を考えていたのか。
何も考えて無かったのか。

「自分なんて」に足すものと引くもの

自然に”そう思ってしまう”ことを良くないものだと抑えつけて、嘘のポジティブで身を守るのは危険だし、どんな感情であれ、そう思ってしまうに至る原因があって、それを否定して無かったフリをして生きるのは自分の人生ではなく「他人になること」だから、それは良くない。

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

私はずっと他人になろうとしてたんだな。笑わずにはいられない。今大人だから笑えるけども。

自己暗示能力が高いんだろうとは常々思っていた。
「そう思う」と本当に疲れるし生活に差し支えるからそう思わない人間になろうとしてた。ちょっとしたことに感情が揺れ動く自分が嫌いだったし、みんなと同じことが出来ないのも思わないのも、親の期待することが何一つできないのも全て嫌で。中庸を心がけて中庸な人間になりたかった。

まあそれでも会社の先輩に「アナーキー」と言われたことがあるのだが。

足すのは、知識と、新しい視点。
引くのは、感情を抑圧するフタと、思い込み。

世界は夢組と叶え組でできている Kindle版

まとめ

そこそこいい年齢に差し掛かってしまったが、これからどうやって生きていこうかな?と考えていた。

もっと市場価値の高い人間になるために新しいことを学ばなければとか、そもそもあの日の私はなぜこの職業を選んだのか、書類は全然通過しないけど行きたい会社も別にないなとか。

この人(筆者)は他人より優れているからそんな無茶なことを言うんだと思ったところで何も変わらないし、やらなければ変化もない。

しばらくは自分との対話を増やしましょうかね。

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